〜ひとこと!いただきます〜

有限会社スタジオキキ代表取締役
野知 律子 さん



Nochi Ritsuko





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わたしが圭子お姉サマと知り合ったのは、2004年の暮れにメルマガ発行者と
その読者さんのオフ会『砂漠で妊娠』に参加したのがきっかけでした。
その直後にメールを頂きました。


件名は、
「2度目まして!  竹内圭子お姉サマです。」

オフ会でも自分の事を「竹内圭子お姉サマ」と名乗っていましたが、
ヘンな人!それがわたしの第一印象です。

こーゆー人とはお近づきにならない方が賢明だと思っていたのですが、
またメールが届きました。

件名は、
「【メルマガデビューいたします】竹内圭子お姉サマ」

ふーーーん。よくわからないけど、とりあえず登録。

それから毎日メルマガが届くようになり、
読んでみたら、この人、けっこうちゃんとした文章書けるじゃない。

へンな人という印象はだんだん薄れていきましたが、
変わりに「不思議系」「天然系」という印象が強くなりました。
え?同じことかな?

それから何度か会ううちに気心が知れ、

とうとう2006年3月の『圭子お姉サマのミニコンサートin名古屋』に、
ついて行くことになったのです。

行きは別ですが、同じホテルに泊まり帰りは一緒という行程。

      

圭子お姉サマが会場で準備をしている間、豊橋のメルマガ友だちの
いしともちゃんに名古屋城を案内してもらったのですが、

二人は名古屋城やシャチホコを観るより
「圭子ちゃん大丈夫かなぁ。。。」と圭子お姉サマの心配ばかりしていました。

案の定、「不思議系」全開!「天然系」炸裂!で、おとぼけぶりを
かましてばかりいたので、当日夜の3次会で自然発生的に

『竹内圭子保護者会』が発足いたしました。

会長は、わたし。
会員は、その時居酒屋にいた全員。
会則は、圭子お姉サマのことが心配!って思ったら自動的にあなたも会員。


まぁ、それからの圭子伝説ったら!
あまりにもネタが多すぎてとても紹介しきれません!!

        

そんな圭子お姉サマですが、みなさまもご存知のように、
毎日きっちりメルマガ書いています。

努力家で、手を抜くとか、お茶を濁すってことを知らない人。

音楽に対する愛情と、ピアノやキッズドラムの生徒さん、またハンドベル友の会の
メンバーへの時には厳しくも愛情あふれる指導。
音楽というキーワードで繋がる喜びを純粋に愛する人。


いったい、いつの、なにがきっかけだったのか思い出せませんが、


「この人のことはずっと大切にしなければいけない」
と思うようになりました。

「この人の音楽を愛する美しい魂をずっとずっと大切にしたい」
と思ったのです。



2007年6月22日に、料理研究家の安井レイコさんのお誘いで
瀬田敦子さんのピアノコンサートに三人で出かけました。


わたしは瀬田さんのピアノがあまりにも気持ちがよくて、
なかば恍惚状態で、なぜか涙がはらはらと流れてきました。

隣を見ると、圭子お姉サマもハンカチを目に当てているじゃありませんか。
やっぱり。。。(わたしとは違う理由で泣けちゃったようですが)


その後、安井レイコさんから圭子お姉サマとわたしに、

「瀬田さんの公開レッスン(マスターコース)があるので
興味のある方に勧めてください。
圭子お姉サマも良かったら受けてみませんか?」

という内容のメールが届きました。


圭子お姉サマは1ヶ月ちょっとではとても無理と判断したのですが、
わたしはこれは受講しないといけない!と天啓のようにひらめき、
がんがん情け容赦なく受講を迫ったのです。



わたしや、周りの人が感じている、お姉サマの「危うさ」これが
解消?される、なんか核融合のような化学変化がおきそうな気がしてるの。

お姉サマのやっていることは、本人なりに筋を通してやっているんだけど、
傍からみてると、「危うい」のよね。

優先順位、エネルギー配分、時間配分、本人は考えているつもりでしょうが、
あらゆるものが、屋台骨をしっかりつくる作業をほっといて頑張っている。

一途で真面目でひたむきだから周りは温かくみているけどね。


『一期一会』を無駄にしないで。

貴人(運命を開いてくれる人)との出会いはそうそうないんだよ。


レッスンをうけて恥をかけばいいのよ。

今それが必要と思う。


その次のメールには、
  趣味でいいのなら今のままで充分目的は達しているよね。

  中途半端なプロ意識なのよね。



お姉サマが受講の申し込みをした後もしつこく、

  一番自己投資することに、時間もお金もエネルギーもかける。

  明日命がなくなるとしたら、何が一番重要?

  家族とあと一つは何?

  何がやりたい?

  やらずに後悔することって何?


  うーーん、つまり若いうちは何でも勉強だけど、ある程度の歳になったら
  自分に誠実に、楽しいと思うことだけやるべきだと思うの。

  魂の喜びを感じることは、決してわがままなことではなくて、
  自分に一番相応しい必然的行為だと思うよ。


  お姉サマは楽しんでそうで、どこか苦しそう。
  やってることが修行とか苦行になっている感じがする。

  みんなそれに気がついているんだけど、見守っているんだよ。
  ハンドベルだってなんだって、音楽は自分が楽しむため、
  人を楽しませるためにあるんでしょ。
  人生の潤いのために。

  
  指導する人が、舞台の上で演奏したくて演奏して、感動したくて感動して、
  楽しみたくて楽しんで、寝食を忘れるほど打ち込んでこそ人はついてくる。


  指導者は、自分が相手のために『演奏させてあげたい』だけじゃダメなの。
  先ず自分。

  瀬田さんのピアノには瀬田さんの溢れる思い、魂の歓喜があった。
  それは音楽の素養が有ろうが無かろうが感じる、絶対的なものだった。


  ピアノでもライティングでもやりたくてやりたくてやってください。
  勝手に自分で課題をたくさんこさえて、
  それをクリアすればやったつもりになるのは止めましょう。

  しかもやりきれないほど宿題抱えて、いつも不完全燃焼。
  それは誰に命令されたの?


  人の時間ながらとってももったいない気がしています。


  大事なのは自分の立ち位置が良くわかって、感謝ができること。


  このスタートラインに立たないでしゃにむに努力しても
  なかなか道は開けない。


  瀬田さんから学ぶのは音楽だけじゃなさそうね。

  健闘を祈ります。
      
         .

ふーーーーぅ、ここまで書くかぁ。。。って自分でも思いました。
一歩間違えば友達無くしちゃうぎりぎりメール。

でも圭子お姉サマは偉かった。
メルマガは変わらずきっちり発行し、主婦業、母親業、生徒さんへのピアノレッスンを
こなし、瀬田さんのレッスンを受けるために1分1秒を惜しんで練習に励みました。


2007年8月24日

国分寺にある泉の里コンツェルトザールの『オールヒナステラコンサート』
を聴きに行きました。


このコンサートの1部で、瀬田さんのヒナステラマスターコースの受講生による
コンサートが行われるのです。

プログラムの最初のアルゼンチン舞曲集は、「年老いた羊飼いの踊り」
「粋な乙女の踊り」「はぐれ者のガウチョの踊り」の3部構成になっていて、
圭子お姉サマは2曲目の「粋な乙女の踊り」を弾くことになっていました。

「年老いた羊飼いの踊り」が終り、いよいよお姉サマの番です。



最初の一音 ♪


息が止まりました。


見えたのです。


その音が愛に包まれているってことが。

わたしにははっきり見え、聴こえました。

1小節が終わるか終わらないかでハンカチを顔に当てて泣いてしまいました。


愛だ!お姉サマのピアノの音は愛に包まれている。。。


ずっと顔を上げられませんでした。

ハンカチを離すと嗚咽が漏れてしまいそうだった。


曲が終わって拍手する時、ハンカチは涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


良かった、ハンカチ2枚持ってて。


それにしてもこんな時に限って、いつもはしないマスカラをつけてたから
全部とれちゃったじゃない!あーみっともない。


圭子お姉サマはもう1曲「ミロンガ」という曲を弾きましたが、
その時はわたしも冷静になってちゃんと本人を見ながら聴くことができました。


本人にしてみれば完璧な演奏ではなかったでしょうが、とにかく良かったです。

他の受講生の演奏も素晴らしくて、どの曲も演奏者にぴったりマッチしていて
ヒナステラの音楽の奥の深さを感じました。

もちろん、2部の瀬田敦子さんのヒナステラは、わたしにとって難解な曲なのに
全身がその音に引き込まれてしまう心地良さがありました。

難解なのに気持ちが良いって本当に不思議です。



コンサート終了後、瀬田さんにご挨拶したら、舞台同様の満面の微笑みで
こう言われました。

「あなたが竹内さんに受講を勧めてくださったのね。
今日の竹内さんの演奏はどうでした?」

「最初の一音から愛がありました!」

「うんうん、今日の竹内さんの演奏には愛がありましたね」

良かったね、圭子お姉サマ。


      


翌日は同じ場所で、「瀬田敦子トーク&コンサート」がありました。

コンサート終了後に瀬田さんとお話しする機会があり、瀬田さんから
「竹内さんは今回のヒナステラマスターコースを受講して何か変ったかしら」
と聞かれたので、

「ええ、変りました。今までは彼女の音は、カタカナの「オ」と「ト」だったんです。

それが今回の受講で「オ・ト」から初めて「音♪」になったんですよ」

「まぁ!それが聞けただけで、わたし東京でマスターコースやった甲斐があったわ!」

「竹内さんは音楽に対する愛情が深くて、自分のピアノの生徒さんへの指導、
ハンドベルの指導、その全部に愛情がいっぱいあるんです。
でも、自分には愛情があったのかどうか、自分のことはあまり愛してなかったような。

彼女のやってることはなんか苦行とか、修行って感じだったんですよね」

「ええ、わたしもそれはちょっと感じていました」

「今回瀬田さんのおかげで初めて彼女の音が生まれたんです」



圭子お姉サマ、トワイスボーン(Twice born)おめでとう♪ 



2007年 9月 4日
野知 律子

 



野知律子さんは、ほんとうに雲の上の存在で
遠くから、ただただ憧れている女性でした。
(過去形を使っていますが、現在も同じ気持ちです)

メルマガのオフ会に、恐る恐る参加したときに
今をときめく発行者さんたちが、たっくさんいらしていて
同じ場所にいるだけで、ドキドキしていたのを覚えています。

   
   


のっちさんの的確な判断力や、鋭い洞察力、豊富な知識量と
なによりクリエイティブ(創造的、独創的)な部分に
強く憧れていますし、尊敬しています。
少しでも近づきたい、という目標の女性でもあります。

      
    


と同時に、とことん「思いっきり、真剣に遊べる」友人でもあります。


今回は、いったんお断りした公開レッスンを「ぜひ受けるべきだ」と勧められました。
普通なら、受講できる状態でもなかったし、自ら受けようとも思わないイベントでした。

でも、ピアニストの瀬田敦子先生からも、「暗譜しなくてもいいので、
とにかくヒナステラを弾いてみて!」と強く勧めていただきました。

もしかしたら、これは大きなチャンスかもしれない、と感じました。
誰も、私がうまく弾くだろうなんて期待はしていないし
何より、自分のために音楽することは、とても久しい気分でした。


早速、私の10代からののピアノの恩師で、今もレッスンを受けている牧 祐子先生に
(ヤマハ講師時代に同じ所属グループで、現在三人娘のピアノの先生です)

今回、公開レッスンを受講するにあたって
ショパンとヒナステラの曲を見て欲しいとお願いしました。


最初のレッスンで、ピアノに座る前に
「今から、どっちかのレッスンをキャンセルできる?」と、開口一番に言われました。

それくらい非常識な行動だったわけです。
公開レッスンまでの時間が足りないこと、しかも毛色のまったく異なる作曲者の曲を
3曲も弾くなど、どう考えても無謀を超えた行為です。


アルゼンチンの作曲者、ヒナステラの音楽に触れることで
少しでも、自分の殻を破ることができたら、そして

感情豊かな演奏をなさったピアニストの瀬田敦子さんから
直接指導を受けるチャンスは、二度とないかもしれない、と

この二つの思いだけで、1ヶ月を過ごしました。


門下生が、ほかの講師のレッスンを受けることをとても嫌うピアノ講師は、
今でも健在しています。バレたら、それこそ破門です。

今回の公開レッスンでも、名前を伏せて参加された受講生も
いらっしゃいました。
快く送り出してくださった牧 祐子先生には、ほんとうに感謝しています。


今回、ヒナステラのメッセージである「人間の感情を忘れるな!」
「自ら壁を作ってはいけない」という言葉にも、出会うことができました。

      

すべては、のっちさんのアドバイスがスタートでした。
いつも、本や美術や音楽や言葉や、ステキな人を紹介していただき
たくさん影響を与えてくださいます。

これからも、末永くお付き合いしてただきたいと思っております。
すてきなメッセージをいただき、ありがとうございます。


2007年8月 国分寺 泉の里コンツェルトザールにて
ヒナステラ公開レッスン&コンサート(瀬田敦子先生)





関東地方、台風 9号接近中の嵐の夜に

2007年 9月 6日
竹内 圭子

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